Saturday, February 22, 2014

JP - 自愛



すごく軽くなりました〜!

昨年の暮れに髪の毛を寄付するため、ばさっと切ったままだった髪の毛を(そのときのことはここに)、ずっとニューヨークで活躍されていて、近年マウイに引っ越して来られたある日本人の美容師さんに手入れしてもらいました。踊るときに団子頭を作れるように、全体の長さは変えずに毛先を軽くしてもらいました。

ちゃんとした美容師さんに切ってもらうのは、すっご〜く久しぶりでした。時にはちゃんと自分をケアしてあげるのって、大切ですね。温かい気持ちになりました。 髪の毛を切った、ただそれだけのことで帰りの運転中クスクス笑いがこみ上げてきて止まりませんでした。「あぁ、私、嬉しいんだなぁ。」と、まるで新しいおもちゃを買ってもらった小さい子を見ているような気持ちになりました。思わず自分に「良かったねぇ」と話しかけていました。

私は以前まで自分の写真を載せるということに抵抗がありました。そんな人様にお見せするような顔じゃないし、恥ずかしいし、また誇示主張ととられることも恐れていました。小学生時代にいじめにあって以来、公共の場(お手洗いなど)で自分自身を鏡で見るということが出来ずにいました。女の子達がお化粧を直したり、鏡に見入って何かをしている横で、目を伏してささっと手を洗って出てきていました。もし見ようものなら、「あんた、そんな見るような身分じゃないでしょ?」と思われるのではないか。「何かしたらかわいくなったり、美しくなると思ってんの?そんなわけないじゃん。無駄な抵抗。」なんて声が聞こえてくるのです。

もちろん、そんな声と生涯生きていくのは嫌でしたから、終止符を打つために色々やりました。カウンセリングセッションを受けたり、セルフヘルプの本(自己啓発本)などを読んで実践したりと。それから自分の中で色々と変化があり、ありがたいことに、あるがままの自分を受け入れられるようになってきました。それから自分の写真をまるで姉か妹をシェアするような感覚で、「私を見て、見て、見て!」という欲求からではなく、「あるところに、あかりという人がいました。そしてこれが彼女のストーリーです」みたいに離れたところからシェアすることが出来るようになりました。


私は20代に入ってからにきびが出始め、つい最近まで止まる事なく出続け、悩んでいました。見かけを気にするというよりも、Tシャツを着るときの痛さ、そして掛け布団をかけるときも顔の周りをUの字にしないと、あごの下にあたって痛くて眠れないことに悩んでいました。

そんなにきびさんたちがやっと落ち着いてくれて、そうしたら今度はにきびさん達が覆っていて見えなかったにきび痕たちが、今は痛々しい様子で月面のようにでこぼこと見えるようになりました。それらが顔中にあります。それらのでこぼこがやはり少しでも薄まればいいなという気持ちが全く無いと言えば、ウソになるでしょう。

でも、私はこれらのニキビ痕が愛おしくもあります。強がって言っているのではありません。本当にそう思います。ここ9年以上に渡ってノンストップで出てきていた彼らとの歴史。日々繰り返してきた付き合い。私にとっては痛みをこらえながらも、それでも笑うことを忘れずにというレッスンをくれたのです。なのでにきび痕を見る度に私は思うのです。「かっこいい勲章だな」と。「何があっても私は笑えるし、美というものは内面から滲み出てもくるものでもあるのだ」と思い出させてくれるのです。

「自分を愛して何が悪い」です。まるで愛おしい子を愛でるように。もちろん、うちの子さえ良ければ、他の子はどうでもいいという態度では、本当に自分の子を愛していることになりませんけど、皆さんも自分をもっともっと、愛してあげてください。そしてそんな美しい皆さんを、堂々とシェアしてあげてください。自分の中に美を見出す度に、周りにも美を見出し、周りに美を見出すほど、自分の中にもさらに見出せるようになります。そういう風に世界は出来てるみたいですから。そして世界はもっと輝きだしますから。

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