Friday, April 25, 2014

JP - 4月に包まれて


信じているよ。
君なら向こう岸へ渡れるって。


春が来た!
空気の中に味わう春。
色の中に匂う春。
蝶たちの羽ばたきの中に聞こえる春。
全てを包み込もうと、私の心は伸びをする。


やっと雨が上がったので、学校が終る少し前に子どもたちを連れて外に出て、手繋ぎ鬼をしました。真剣に走り回って(大人気もなく)24人の子ども達を追いかけました。踊りのためのスタミナを付ける良い機会です。沢山の笑顔を見、嬉しそうな叫び声を聞きました。こうして遊ぶ度に、子ども達との絆が深まるように思います。私と一緒に遊んだこと、大人になって覚えてくれてるといいな。そうして、彼らの子ども達と真剣に遊んでほしいな。


日本にいる従姉の第一子が生まれました。男の子でした。母方のいとこの中では初めての子どもです。既に他界している母方の祖父母にとっては、初めてのひ孫です。彼の誕生をみんなでワクワクと待っていました。早く会って抱っこしたいな。


生きていることにイエーイ!
この美しい地球にイエーイ!
ホオキパで楽しいサーフセッションが持てました。



ある日の帰り道。


雨、雨、雨・・・
今年の冬と春は、マウイは例年以上に雨が多かったです。


赤紫の色の鮮やかさに目を奪われて。


そして見上げると、これらの花が咲いておりました。


あるお休みの朝、お隣さんのリサと少しおしゃべりしながら頂いたスムージー。
私の住んでいるところは、大家さんが芸術家の方だけに貸しているというところ。
本当にすてきなところ。
感性が豊かで鋭くて、いつも心の奥深くを見つめている人と、ふとしたときにおしゃべりをしたり、お互いの家を訪れたり出来る幸せ・・・。
ありがたや。


わっぱに入れたのり巻き。
わっぱに入れると、絵になること。
匂いも良いし、ごはんももっと生き生きして見える。


毎日のように踊ってくれている私の足さん、ありがとう。
左足の親指の爪に赤い点があるのですが、それは昨年の9月に重い懐中電灯を落としたときに出来たもの。それが少しずつ爪の付け根から先へと移動していくのを、私の生徒たちは毎日観察してくれていました。(お昼休みの後は、毎日絵本を読み聞かせるのですが、ロッキングチェアーに座っている私の足下に子ども達が座っているので、よく見えたそうです。)「先生、もう大分先っちょになったね」とか報告してくれました。
ご報告、ありがとう。

Thursday, April 24, 2014

EN - Cradled in April


I believe in you.
You can cross over.


Spring is here!
I can taste it in the air, 
smell it in the colors, and
hear it in the pulse of butterfly wings.
My heart stretches open to embrace them all.


Yay, rain stopped for a sec., so I took the kids (2nd graders) out and played a chain tag right before school ended. I ran full-speed, chasing 24 kids - a good way to build stamina for dancing by the way. I saw many smiles and heard happy shouts. I feel our bond gets stronger whenever we play together like that. I hope they remember playing with me and will play with their kids someday.


My cousin's first baby (a boy) was born (in Japan)! He is the first baby among my maternal side's cousins (the first great grandchild for my maternal grandparents although they're not on this planet any more), so everyone was excited! I hope I get to meet him pretty soon and hold him and kiss him.


Yay for being alive!
And yay for this beautiful earth!
I had a nice early morning surf session at Hookipa.



On the way home, one day...


Rain, rain, and rain...
Maui had a very wet winter and spring this year.


I was mesmerized by the vividness of this purple red.


And I looked up and saw these flowers.


My neighbor Lisa made this yummy smoothies, which I delightfully consumed at her cozy home as we chatted. Our landlord only allows artists to reside on his estate, so all the tenants are artists.
It is a special place.
I feel grateful to be able to casually chat and visit one another with people who are sensitive and keep and always looking into the deeper part of themselves. How wonderful.


Norimaki in Wappa
Wappa is a bento box made out of thinly sliced wood.
It smells good, and it makes food look fresh.


Thank you to my feet for dancing almost daily.
I have a red dot on the left big toe because I dropped a heavy flashlight on it last September. It has been moving to the tip of my nail slowly but surely. My students have been observing the progress. (I read a book to them after a lunch recess everyday, and I sit on a rocking chair when I do. I guess they had a good view of my feet as they sat around my feet.) Someone would always report, "Teacher, the red dot it almost off the edge." I appreciated their close attention.

Wednesday, April 23, 2014

JP - お知らせ


皆さんにお知らせしたいことがあります。

もう既に、家族や毎日会う仕事先の同僚、身近な友人達にはお伝えしたのですが、皆さまに敬意を示すためにも、誰かから聞くよりも先に、私の口からお伝えさせていただきたいと今朝強く思った次第であります。

このことを打ち明ける後押しをしてくれた友人達に感謝しています。やっと出来てほっとすると同時に悲しくもあり、そして全て大丈夫になっていくという確信も感じ、でもやっぱり悲しく、その度に力づけられ、決断が揺るがないものになっていくのを感じています。

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大切なお友達の皆さまへ

来年度(2014年から2015年にかけて)、教師の仕事を一時的に退くことにしました。

もう一つのパッション(情熱を注いでいるもの)である踊りを追求するためです。この決断は何年間か考えて辿り着いたものです。今まで生きてきた中で一番難しかった決断の一つです。これは教師の仕事が嫌になったからではありません。事実、それと全く逆のことが起こっていました。今年度が教師になって6年目の年です。教師として月日が流れるほどに、この仕事がどれほど意味深く、やりがいがあり、そしてどれだけ社会的に大切な役割を持っているかということをひしひしと感じています。時としてどんなに大変でも、ただ単純に子どもたちと毎日過ごせることが心から嬉しいです。彼らの日々の成長を見届けることや、彼らの瞳に宿る光を見ること、そしてこの世がどんなに素晴らしいものであるか何度も思い出させてもらうこと、それら全てを心から愛しています。なので、この決断を下すのはとても難しかったのです。

私は歩けるようになってからずっと踊ってきたように思います。初めてお給料を頂いたお仕事は、ステージ上で踊るというものでした(高校生の時のこと)。しかし、踊りをお仕事として追求するよりも、子ども達と働きたいという想いの方が何倍も強かったので、教師になる道を選び、踊りは趣味として続けていくことにしました。皆さんもご存知のように、私はインドの古典舞踊の一つであるオディッシィダンスを真剣に学んでいます。アメリカのボストンでインド人の父とユダヤ人の母のもとに生まれ、今はマウイのマカワオという町で教えている私の先生であるサララ・ダンデカーさんの元で学んできた過去8年間は素晴らしい旅路です。彼女とはここマウイで行われたあるイベントで出会いました。彼女はオディッシィダンスを踊り、私はよさこい踊りを踊ったのです。彼女の踊りを初めて見たときは、開いた口が塞がらず、心臓は鼓動を一つ飛ばしそうになり、背骨は溶けていきました。それから彼女のクラスに通い始めるのに、そんなに時間はかかりませんでした。

オディッシィダンスは技術的に習得するのが大変難しく、上達するためには忍耐とたくさんの練習が必要ですが、それに反して私の踊りに対する愛は深くなっていくばかりです。このブログを昨年読まれていた方はご存知かもしれませんが、昨年の4月には教師の仕事から一ヶ月お休みを頂いて、インドに踊りのために行ってきました。そこでサララ先生の先生である、グル・ジェーラム・パランザペ師の運営されている踊りの学校に通わせてもらいました。この一ヶ月のインド滞在は、「オディッシィダンスにどっぷり浸かりたい」という欲求を満たすどころか、より強いものにしました。インドでは大変有り難いことに、ジェーラム先生と先輩弟子の方たちと一緒にステージを踏ませて頂く機会に恵まれました。舞台脇からジェーラム先生のソロの演舞を見ていたとき、何かが心の奥深くに触れました。サララ先生が踊るのを初めて見たときと似た感覚でした。そしてそれは魂のより深いところで響きました。私は泣いている自分に気づきました。そのとき、私の顔はメイクで固められていました。特に目の周りは。そしてジェーラム先生の後にもう一曲踊る踊りがありました。メイクが台無しにならないようにと、涙を引き止めようとするのですが、次から次へと流れてきました。仕方なく取った手段は、顔を地面と平行にして、涙が重力により垂直に落ちるようにするというもの。そのとき、「あぁ、私はこんなにもこの古代から伝わる芸術を愛しているのだ。学びたいのだ・・・」と気付きました。

それからマウイに戻ってきて、教師の仕事に戻ってからも、その想いは少し足りとも薄れていません。自分自身と沢山の会話をしました。ある部分の私は、「教師の仕事でさえ何とか生計立ててやっているところじゃないか。その定期的に入ってくる収入を蹴るなんてどうかしている。」と言いました。そして別の私は言いました。「それは確かにそうだ。でもね、教えている限り踊りたいだけ踊れないのは事実じゃないか。今は、あかりは一人の身だ。自由に動けるときだ。何だって出来る。体だってまだ大変な練習も乗り越えられる。教師の仕事は、もう身体的に踊りが難しくなったときでもやれる。今じゃなかったら、いつだって言うんだい?ただね、あかりに後悔してほしくないんだ。今世息を引き取るときに、『あぁ、なんであの時踊らなかったんだろう』って思ってほしくないんだよ。」この最後の一言が私の心に深く根をおろし、決断に至りました。

ということで、踊らせて頂きます。全て何とかなると信じて飛び込んでいきます。インドに何ヶ月か金銭的に可能な限り行ってきます。(それ以外のときは、マウイでサララ先生のもとで踊っています。)貯金はしてあります。一年遊んで暮らせる程のものでは全くもってないですが。翻訳、通訳、オンライン上のビジネス、家庭教師などの仕事をしながら家計は切りもっていくつもりです。

踊るときは、いつも子ども達を心に踊ります。彼らが心から笑って、心から安心して暮らせる世界を作れますようにと。

これを書いている時点で、まだあと一ヶ月ほど子ども達と過ごす時間はあるというのに、もう既に教室を去ったときの痛みを感じます。あの鈴が鳴るような笑い声と、イタズラ好きな笑顔と、光に充ちた瞳たちを。彼らと一緒にドッジボールをして遊んだり、手つなぎ鬼をした思い出を恋しく思うでしょう。一緒に本を読むことや、算数の問題の解決法を考えること、遠くや近くの世界について考えを馳せ、話し合うことも。「先生、サンダルの鼻緒が切れた」とか、「あかり先生、歯が抜けた」とか、「ミス・ウエオカ、アイラブユー」と言ってくれる声たちを。これを書いていたら、ちょっとコンピューターの画面がぼやけてきました。涙が目に溜まってきて。でも今回は顔を地面と平行にさせたらキーボードに涙が落ちるので拭きます!

それでも私は夢を追うことにします。教え子たちも彼らの夢を追ってくれることを祈りつつ。いつも私を支えてくださり、必要なときにそこにいてくださる、そんな皆さまがた、誠にありがとうございます。2012年の4月に行われた私のオディッシィダンスの免許皆伝式で両親が話したスピーチの一部を引用し、この手紙を締めくくらせて頂きたいと思います。それが私の皆さまに対する気持ちを、実に上手く要約してくれていると思うので。「18歳までは私たちがあかりを育てました。それ以降は、マウイ島と、マウイの皆さまがあかりを育ててくれました。あかりが今日こうしてここに、このような形でいられるのも皆さまのおかげです。本当にありがとうございます。」

そうです。これを読んでくれているあたなさま無しには、私は今日、このような形でいられないでしょう。

心からの感謝を込めて。

上岡 安佳里

EN - An Announcement


I think that the time has come to officially make an announcement about a decision I have made.

I've already told my family, friends whom I see in my daily life, and colleagues at work. However, I haven't let every one of you know. This morning, I felt need to get on it and tell you from my own mouth to honor each one of you.

Big thanks to those who helped me to get this out of my chest. I'm relieved, sad, faithful, again sad, yet empowered and tenacious in my decision.

Dear Friends,

I will not be returning to teach during the 2014-2015 school year.

I have decided to pursue another passion of mine – dancing. This decision was formed over some years of deliberation. It was one of the toughest decisions I’ve made to date in life. Please know that it is not because I ceased to love teaching. In fact, it is quite opposite. This school year is my 6th year as a classroom teacher, and the more I teach, the more I find this occupation to be one of the most meaningful, rewarding, and paramount jobs in the world. No matter how challenging it can be at times, I simply love being with children. I love being part of their growth day by day, seeing the bright light in their eyes, and being reminded of how precious life is.

Hence, my decision to leave has been a difficult one. I’ve always danced since I could walk. My first paid job was dancing (during my high school years), but I knew that I wanted to work with children more than to dance professionally, so I chose to become a teacher and to continue dancing as a hobby. As you know, I have been seriously studying a classical Indian dance called Odissi. It has been a great journey of 8 years under guidance of my teacher, Sarala Dandekar (of Makawao) who is originally from East Coast and India. I met her here on Maui while we both performed at an event (I danced a Japanese dance, and she did Odissi). When I saw her dancing, my jaw dropped, my heartbeat almost skipped a beat, and my spine melted. It did not take much time for me to start going to her classes.

Although the dance form is technically challenging and requires much patience and practice to improve, my love for this art form has been growing steadily over the years. As many of you know, I went to India last April for a month and studied Odissi with Sarala’s teacher, Guru Jhelum Paranjape, who is an expert in this art form. This one-month visit did not satisfy my desire to be immersed in the art form, but fueled more. In India, I was given an opportunity to perform with Jhelum and her senior students. When I watched her solo piece from the wings of the stage, something profound touched me. It was similar to when I saw Sarala dancing for the first time, and this time, it echoed at an ever deeper place in my soul. I found myself crying. I had a full make up on my face, especially around my eyes, and I still had one more piece to dance. Despite every attempt to hold back the tears, my eyes welled up. I looked straight down keeping my face parallel to the floor, so that tears would drop straight to the floor. At that moment, I realized how much my soul yarns to study this ancient art form.

Since then, the desire has not faded one iota. I’ve had many dialogues with myself. A part of me said, “You barely make a living being a teacher. What do you think you are doing by giving up on a secure income source?” But the other said, “You’re right, but you cannot dance as much as you want as long as you are teaching. You happen to be the only one in your household. You’re free to do whatever you want to do now. Your body is still capable of handling rigorous practice. You can teach again after your body is no longer able to tolerate the strain. If not now, when? When are you going to do it? I just don’t want you to regret on your deathbed that you didn't’ dance when you had the chance.” That was it. The last sentence from myself has found a permanent place in me.

So, I am going to dance. I will be taking a leap of faith. I will go to India to study for several months. I've saved some money. While I am still here on Maui as well as when I return form India, I will be substituting, translating/interpreting, teaching computer lessons, and doing anything to make ends meet.

I will always dance with children in my heart - with a prayer that we could make a world where children laugh from their hearts and feel wholesomely safe.

As I am writing this, I can already feel a deep sorrow in my heart for leaving my classroom full of bell-like laughter, mischievous smiles, and light-filled eyes. I will miss playing dodgeball with them and chasing each other in a chain tag. I will miss reading stories with them, contemplating math questions together, exploring and discussing about the world around us and far. I will miss hearing, "Teacher, my sandal broke," "Miss Akari, my tooth came out," and "Miss Ueoka, I love you." As I am writing this, the computer screen is looking all blurry because my eyes are welling up. This time, I will just wipe them. If I hold my face parallel to the floor again, the tears would drop to the keyboard, which is not a good idea!

Yet, I am going to follow my dream - with a hope that they would also follow theirs. Thank you for always supporting me and being there for me. I would like to end this letter by quoting my parents since it encapsulates how I feel about you. At my Odissi debut ceremony held in April 2012, my parents thanked the audience by saying, "We've raised Akari until she was 18 years old. After that, you and Maui raised Akari. She is here because of you. Thank you."

Yes, I wouldn't be here without you.

With Much Gratitude and Truly Yours,

Akari Ueoka

Tuesday, April 22, 2014

JP - 空から降ってくる思ひ出たち


お米がガラス瓶に注がれるときの音が大好きです。
私の米びつはそんなに大きくないので一週間毎にお米を入れます。その度に聴こえます。
小さいときに、そうやって母や祖母がしていたときの音を覚えています。

それはお百姓さんたちの大変な働きと、お天道様さまと雨の神さまの恵みが奏でるメロディーでした。

それから子どものときに見た、いくつかの第二次世界大戦中の映画でお米を配給されているときの音も鮮明に覚えています。それらのシーンを見ていて、「あぁ良い音だ」と思いました。それは希望を意味する音でした。

いつか私に子どもが出来たら、お米を米びつに移す音を聴いて、私が小さい頃に感じていたように平和を感じてもらえたらと思います。そしてこの世に存在する生きとし生けるものへの感謝も共に。

きっと文化、文化でほっとさせてくれ食べ物の音ってあるのでしょうね。


こんな写真出てきました。
16歳のあかりさん・・・ 
高校時代所属していた新体操部の練習のワームアップ中かな。
(ちなみにこの足は頭の向こう側にまで行きましたのよ。)
青春の一枚ですな。


「今はどうかな?」ということでやってみました。 
現役時代ほどではないですけど、ここまでならいきました。


3月に日本から来ていた友だちのたけちゃんがくれたしょうゆ豆!
たけちゃん、毎年ありがとう。
日本を思い出させてくれる味です!


小さい頃から、三日月の上で眠れたらなぁと思って大きくなりました。
お月さまに揺られて寝られたら、どんなに気持ちが良いだろうって。


小さい頃、物悲しくなる夕焼けどきに、どこかの家の灯りが漏れているのを見てはほっとしていましたっけ。 

一人暮らしの家だって、外からふと見えた灯りは優しかったです。
(月の写真を撮りに外に出た時のこと。)

その光の中に入っていくのだと言い聞かせ、家に入りました。


そして私たちは毎日思い出を作っています。
いつか、あの日のお日さまの温かさを、くっきりと思い出す日が来るかもしれない。
いつか、落ち葉が舗装された通りの上で踊って乾いた音楽を奏でたことを思い出す日が来るかもしれない。

上の写真は、インド舞踊の先生の息子と夕方の散歩中に撮ったもの。
「 いつか君の手の方が大きくなる日が来るね。」と思いながら。

私の手を、彼がいつか思い出す日がくるかしら。


今年の4月10日はきょうだいの日だったそうです。
そんなものがあるとは知りませんでした。
ということで、ここに弟の充昌(みちまさ)(当時5歳)と私(9歳間近)。
大好きな弟です。

EN - Memories Falling Out of the Sky


I love the sound of rice falling into a jar.
My rice jar is not that big, so I get to listen to it maybe once every other week.
I have a childhood memory of hearing the sound as my mother and grandmother did the same.

It's a melody of fruition created by farmers' hard labor and blessings of the sun and rain.

I also have a vivid auditory memory of hearing it in one scene of a movie where a young boy gets rationed rice during the WWII. I interpreted the sound as hope for life. 

I hope that someday my child will listen to me pouring rice into a jar and feel the peace I always felt and feel appreciation for all living things.

I bet that each culture has the sound of food that comforts the people from the culture.


I happened to come across a photo of Akari at age 16 warming up for a rhythmic gymnastics practice at a high school gymnasium. 
(The leg actually could go over my head.)
A moment of my youth...


Well, you may be wondering, "How about now?"
So I tried.
Maybe not as flexible as I used to be, but it's alright ;-)


Shoyu mame (fried horse beans soaked in soy sauce)
My friend, Take-chan always brings this package for me every March when he visits Hawaii from Japan. Thank you, Take-chan! The beans remind me of taste of Japan.


Since I was a little child, I always dreamed about sleeping on a crescent moon.
How cozy that must be to be cuddled by it.


When I was a little child, I used to feel a little melancholy at sunset but felt reassured whenever I saw light outflowing from someone's home. 

Even the light I happened to see in my own small house had a gentle light (when I took a photo of the moon). 

I told myself, "You would be surrounded in it when you go in."


And we're creating memories everyday.
Someday, you might remember the warmth of the sun on the particular day.
Someday, you might remember how the fallen leaves danced on and made dry music with the paved road.

The photo above was taken while I took an evening with with my Indian dance teacher's son, while thinking, "Your hands will be bigger than mine someday."

I wonder if there would be a day when he remembers my hand.


I didn't know that there was such thing as a National Sibling's Day. It was April 10th this year.
So, here is a photo of my brother Michimasa (age 5 at that time) and me (almost 9).
We were about to go to a local summer festival (probably bon dance festival), so we both wore yukata (summer kimono).
I love him with all my heart and soul. 

Saturday, April 12, 2014

JP - ハイク ホオラウレア フラワー フェスティバル


ハイクホオラウレア・フラワーフェスティバル日本で言う大きなバザーのようなイベント)は、教えている学校で、年に一度ある大きなイベントです。利益の100%が子ども達のために使われます。例えば音楽、図工(芸術)、体育、陶芸などの授業で使われる教材や、それらを専門とする先生たちにお支払いをするために。

そこで毎年踊りを依頼していただき踊っているのです、いつもはよさこいのリクエストなのですが、今年は初めてインド舞踊のリクエストがあり踊ってきました。


私の出番は9:30でした。

この日のために、生徒たちも、先生たちも、保護者たちも、地域の皆さんまでも、みんな総出で準備をします。その様子を毎年見ていて思うことは、「あぁ、子ども達は愛されているなぁ」ということと、地域で子ども達を育てることの大切さについてです。

ベテラン司会のティムさん

ピーター・スワンジーさんが、先週行われたハイクフラワーフェスティバルで、これらのすてきな写真を撮ってくださいました。ありがとうございます。

これらの瞬間、瞬間に想っていたこと、目の先にあったものを鮮明に思い出せます。それは私の愛しい教え子たちでした。今現在教えている子達から、過去6年の間に教えた子達まで。最前列で見上げてくれていた、興味津々の、無垢な瞳たちの前で踊れたことは、私にとってこの上ない喜びでした。

あの瞳を守るためにも踊り続けられますように。












最後に、観に来てくれた日本人のお友達と。
ありがとうございました。