Tuesday, April 22, 2014

JP - 空から降ってくる思ひ出たち


お米がガラス瓶に注がれるときの音が大好きです。
私の米びつはそんなに大きくないので一週間毎にお米を入れます。その度に聴こえます。
小さいときに、そうやって母や祖母がしていたときの音を覚えています。

それはお百姓さんたちの大変な働きと、お天道様さまと雨の神さまの恵みが奏でるメロディーでした。

それから子どものときに見た、いくつかの第二次世界大戦中の映画でお米を配給されているときの音も鮮明に覚えています。それらのシーンを見ていて、「あぁ良い音だ」と思いました。それは希望を意味する音でした。

いつか私に子どもが出来たら、お米を米びつに移す音を聴いて、私が小さい頃に感じていたように平和を感じてもらえたらと思います。そしてこの世に存在する生きとし生けるものへの感謝も共に。

きっと文化、文化でほっとさせてくれ食べ物の音ってあるのでしょうね。


こんな写真出てきました。
16歳のあかりさん・・・ 
高校時代所属していた新体操部の練習のワームアップ中かな。
(ちなみにこの足は頭の向こう側にまで行きましたのよ。)
青春の一枚ですな。


「今はどうかな?」ということでやってみました。 
現役時代ほどではないですけど、ここまでならいきました。


3月に日本から来ていた友だちのたけちゃんがくれたしょうゆ豆!
たけちゃん、毎年ありがとう。
日本を思い出させてくれる味です!


小さい頃から、三日月の上で眠れたらなぁと思って大きくなりました。
お月さまに揺られて寝られたら、どんなに気持ちが良いだろうって。


小さい頃、物悲しくなる夕焼けどきに、どこかの家の灯りが漏れているのを見てはほっとしていましたっけ。 

一人暮らしの家だって、外からふと見えた灯りは優しかったです。
(月の写真を撮りに外に出た時のこと。)

その光の中に入っていくのだと言い聞かせ、家に入りました。


そして私たちは毎日思い出を作っています。
いつか、あの日のお日さまの温かさを、くっきりと思い出す日が来るかもしれない。
いつか、落ち葉が舗装された通りの上で踊って乾いた音楽を奏でたことを思い出す日が来るかもしれない。

上の写真は、インド舞踊の先生の息子と夕方の散歩中に撮ったもの。
「 いつか君の手の方が大きくなる日が来るね。」と思いながら。

私の手を、彼がいつか思い出す日がくるかしら。


今年の4月10日はきょうだいの日だったそうです。
そんなものがあるとは知りませんでした。
ということで、ここに弟の充昌(みちまさ)(当時5歳)と私(9歳間近)。
大好きな弟です。

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